ああ……。次有華と会ったら気まずいだろうな、うぅ……っ。
それにしても、俺はどうするべきだろうか。
有華を、俺は好きなのか――どうかだ。これは、次に有華に会うまでに、
決着しなければならない問題である。
(嫌いなわけは、ない)
それだけはハッキリしている。
ただ、じゃあ好きなのかと問われると……俺にとって、あいつは幼馴染みで、妹みたいな存在で……。
長年の蓄積した関係が……明確な俺の気持ちの判断を、阻害してしまう。
「ああ、ああ……っ」
などと悩んでいると、聞き慣れたメロディ。
ポケットからそれを取り出す。……誰だよ、俺がめちゃくちゃ悩んでいる最中に、畜生――。
「……非、通知……っ?」
数字の羅列を、思い出す。
――のどが、渇いている。……昨日かけまくってきたのと、同一の人物か……っ?
とにかくまずは、応対するべきだろう。
「……もしもし?」
別に怯えることはないんだ。
「あの……昨日もかけてきましたよね?」
問いかけるが――返事が、ない。
見事に雑音は捉えられないし……これは、昨日と同じだ。
「なんで、あんなにかけるんです……? なにか、俺に用事なんじゃ――っ」
ぷつん。
……相手から、通話を、切った。
耳から携帯を離して……見下ろす。
「なんなんだよ……っ。薄気味悪い……じゃないか」
液晶には、十二時二十八分と、表示されている。
もうこんな時間か……随分有華のことで思考に没頭してたな。
「もう……寝るか」
というか……情けないが、なんだか孤独が怖かったんだ。その忘却の手段として……眠るってのは、手っ取り早かっただけだ。
起きたままだとどうしても考えてしまう……昨日から続く、無言の電話。
……電源、切ろう。うん。目覚しの時計を用意しないと。
繋がらない。
――この反応は、もう眠ったものだと、判断する。
立ち上がる。
……会いに、行く。
「ふぁ……っ。くそ、眠いっ……」
――うん?
なんか唇に違和感があるような……ありゃっ? 変なもんなめたかな、昨日。
昨日と言えば――しまった、飯のタイマーを予約するの忘れてた……そもそも米をとぐのすらやってないけど。
時刻は、すでに七時の三十六分……。おかずの用意も、間に合わんな、こりゃ。
「コンビニ行かないと……」
とにかくさっさと着替えて、ちょっと早めに家を出ないと……。
制服姿に変身してから、リビングに。少しだけくつろぐ時間はあるし――っ。
テーブルの上には。
ラップに包まれた幾つかのおかず。
そして――保温になっている、炊飯器が――っ?
「――はあっ……!?」
待て、待て、待てよ……っ! 意味が、わからないぞっ!
俺は昨日有華の一件で参って、明日の弁当の米をとぐのすら――忘れたっ! 忘れたんだよっ……!
――じゃあなんで……ちゃんとたけてるんだよ……飯がっ!
そして最大の違和感は……。
「おかずが……なんで、あるんだ……っ? あは、はは……っ」
何故か、笑みがこぼれる。……冗談だろう?
ラップを剥がして……卵焼きを、一つ摘んだ。
冷めているけど……美味しいな、うん……。いや……まず見た目があまりにも綺麗だったから、すぐに美味だってわかる。
「はははっ……。す、すごいなあ……有華の、やつ。こんなに上達した、なんて――っ」
――違うだろうっ……! 阿良川瑛丞っ!
つい先日に味わった有華の腕前は……最悪だったじゃ、ないか……っ!
一日やちょっとで、美味と変貌するほど、マシではなかったんだ――断じて。
「じゃあ……誰が、作ったんだよ……っ?」
昨日俺が眠ってから……。
その誰かは、俺の家のドアを開けて……台所で、調理をした……っ? ちゃんと炊飯器の予約も完了して。
出来上がったおかずにはラップをする。
決して、その誰かはここの鍵を持っている有華ではない……だって、あいつは、料理が下手だから。
そして――誰かは、まだ、この家に……いるかも、しれない――っ!?
「ひっ……! うわ、ああああっ!」
動転して、無意識にテーブルの上の皿を、全部投げ飛ばす。
砕け散るおかず。そして皿……っ! 全部だ、全部投げろ、俺っ!
「ああああああああああっ! だ、誰だよ、誰が、勝手に作りやがったんだよっ!」
思い出すのは無言の電話……。
雑音すら入りえない、通話の奥に潜む人影――。
「ひぐぅ……っ! はあ……っ! ああ……っ!」
他人からすれば……朝のリビングに、食べ物が並んでいるのは……至極当然の光景かも、しれない。
だけど……俺の母親は、もう、とっくの昔に……死んでるんだよっ!
この家での家事の担当はもっぱら俺であり、その俺が作った憶えのない、数々の料理……っ。
俺からしてみれば――恐怖の、具現でしか、ない。
「誰だよ……っ。いるんだったら、出てきやがれ、畜生――っ!」
頭を抱えて……俺は、しばらく壁を背中にしたまま、動けなかった。
視線を辺りに走らせたまま……震えて、いた。
遅刻したのは……本当に、久しぶりだった。
きちんと登校する事に関して中学の頃から非常に真面目だった俺は、昔からの付き合いのやつらからは、随分と驚かれた。
「おいおいどうしたエースケ。お前が遅れるなんて……なんだ、風邪でも引っ被ったかっ?」
「いや……ちょっと、な。寝坊って、ところだ」
あんまり……俺の遅刻の理由を問い質さないで、くれよ……。
嫌でも思い出すから……っ。
あの――誰かが俺に用意してくれた……料理の数々をっ……。
自分の部屋を含めて、家の全てを、俺は調べた。
クローゼットに、ベッドの下……そんな暗闇を一つ覗くだけでも、心臓が爆発しそうに喚いた。
――結局。俺が調べている時間に限り……誰も存在していないことが、確認出来た。
だが……確実に、誰かがいた。
俺が眠った……多分一時くらいか。それ以降に侵入して、俺が目覚めるまでに、退出している。
ベランダの窓は無傷だから、正面から――つまりドアの鍵を開けて、入ってきたのだろう。
今朝のリビングの光景が……それを如実に物語っている。
(警察に……言ったほうが、いいよな……っ。これって)
金銭や貴重品を盗られた訳ではないけど、誰かが確かに侵入したんだから。
無許可で。
これはれっきとした、犯罪じゃないか……っ?
「日直は号令せんか――っ! 授業始めるぞ」
二時限が始まろうとしている。
俺だけが……教科書も取り出さず、ボケッと、座ったままだった。
昼休みを、そうやって迎えた。
用意されていたあれを……持ってくる気分には、とてもなれなかった。
そもそも、投げ飛ばしたからな。
つまり、俺には昼食がないのだ。
食欲がなかったので、それは大した問題ではない……もっと他に、考えなければいけないことが……っ。
「阿良川――っ。お前にお客さんだぜ」
「……えっ?」
窓際の席で、青空を見上げていた俺を、呼び出す声。
ドアの傍で手招きしている。……なんだよ。誰だ、貴重な昼休みに俺を訪問しようなんて呆れたお人は……っ?
渋々立ち上がり、近付く。
「お客さんって、誰だよ」
「可愛い先輩だよ……畜生。羨ましいぜ、てめえ」
などという台詞を残して立ち去りやがる。
そいつが退いた先には――。
「……いたり先輩?」
「エースケくんっ。こんにちわっ」
ぺこりと、嬉しそうにお辞儀する先輩。
……なんだ。屋上での一件は、完璧に振り払ったみたいだな……よかった、本当に。
やっぱり先輩は、そうやって笑ってるほうが――周囲にも、自分にも幸いだと思える。
ああ……なんだか少し和めた。ありがとう、先輩……っ。
「あの、それで今日はなんの用件ですか?」
「――えっと。エースケくんの、席って……どこでしたっけっ?」
「……っ? 窓際の、一番後ろですけど」
人差し指で示してやる。
先輩はそっちを数秒見つめてから――。
「なんで、お弁当、持ってきてくれなかったんですか……っ?」
まばたきを、忘れてしまう。
俺は……先輩を、静かに、見下ろした。
エースケくんの机の上は……なにものっていません。綺麗さっぱりです。
昼休みに入ってから十分。
エースケくんとお昼を一緒にしていた時期に――彼から、自分はちゃんと昼休みに弁当を食べる主義……って、聞きました。
だから早めに平らげている可能性はないでしょう。
なら今の時間――あの机には、お弁当の箱がのっているはずです。
……持ってきて、いるなら。
「ちゃんと炊飯器は予約してましたし……。おかずはラップしてましたよね……っ?」
頬を膨らませて……ちょっと拗ねたふうに、私は言います。
だって酷いです。せっかく私が、愛情込めて作ったのに……忘れちゃう、なんて。
「もうっ。エースケくん、酷いですっ! そんな、照れなくてもいいですのにっ」
――あれっ?
どうしたんですかエースケくん……そんな、私をじっと睨んで……っ?
て、照れちゃいますよぉ。
「先輩……だったん、ですか……今朝の、あれは……っ?」
「はいっ。どうですエースケくん、これが女の子の本分なのですっ」
あのガサツそうな女と比べてください。どうです、女性への見方が変わるってもんでしょうっ!
あふ……っ。駄目です、笑みが無限に溢れてしまいます。
「――せん、ぱい……っ。あの、その……今日の、放課後ですね……屋上に、来てくれませんか……っ? ちょっと、話が」
「ふえっ……!?」
これは――早くも、矯正は完了したみたいですっ。
もちろん私は頷きました。
「じゃあ……また、放課後に、会いましょう」
「わ、わかりました……っ。待ってますね、エースケくんっ!」
本当は、お弁当のことで色々言いたかったんだけど……思わぬ収穫があったので、許してあげます。
もう目前です。
エースケくんが……私のものになるのは、もう……っ。
あはは、はははっ。ははは、ははは……っ!
迷惑ですって言ったことは、もう、全部許しちゃいますっ。
だから――今度はエースケくんから、付き合ってって、お願いしてくださいよっ?