初めて交わした会話は、果たしてなんだったか……もう、憶えていない。
あいつは昔、ちょっと人見知りだったからなあ。
今でこそ活発な性格に変貌してしまったが――まあ、結構なことである。
やっぱりあいつには、笑顔がとても似合っていると思うからな。
「はあ……っ」
ソファに横たわりながら、天井を凝視する。
自分の愚行を、あれから何度も思い出しては、溜め息ばかり吐き出していた。
有華の視点からあれを再現してみろよ……。
俺は、時間を逆行できるなら、真っ先に己を殴りに出発するな。
ふざけるな。状況を考えろ――先輩からの告白には、あんな反応などしなかったくせに。
「だって、な……。あの有華が、俺を」
すきなんて。
お前……よっぽど中学にはときめく男子はいないのか?
俺なんか、料理が趣味の……やわな、平凡高校生だぜ。
それに――正直言うと、俺にとっての有華って存在は、今日まで……。
やかましい幼馴染みだとか。
妹みたいな、感じだったんだよ……正直な。
そんなくだらない固定的な観念が、俺の脳裏にこびりついてたから。
冗談だろって、思っちまった……っ。
「謝らないと……」
そして言わないと。
俺の、有華に対する――ちゃんとした返答を。
夕焼けが眩しい。鬱陶しい。
あれから公園まで疾走して、一時間くらいか。
ベンチに座り込んだら、立てなくなってしまって、ずっとこのままでいる。
時折遊歩道を歩く男女の組み合わせが――腹立たしい。
「なんで……っ」
あんなふうに、エー兄と歩きたいのに。
肝心の彼は受け止めてくれなかった。
冗談だろうと――私の勇気を、その単語だけで、払い除けた。
「エー兄の……あほぉ……っ」
思い出したら、また泣きそうになってしまう。
誰かにこんな脆さを見咎められるのがひどく恐ろしくて、あたしは俯いた。
地面を睨みながら……色々考える。
(もしかして……エー兄は……)
そうだ。
エー兄が嘘を吐いている可能性が――ある。
あたしの、付き合ってんの? という問いかけに、エー兄は否定を返してくれたけど。
あれはまさか――嘘だったんじゃ、ないのかな……。
(嫌だよっ……そんなの、絶対に……っ!)
想像するだけで死にたくなるが、逃げてはいけない。立ち向かわないと……っ!
あの女――瀬口至理。
仮にあいつとエー兄が付き合っていたとして……エー兄が、それを否定する必然性は、あるのかな……?
……なんだ。あるじゃない。そんなの、簡単だった。
「優しいから……」
声に出して、その真実を紡ぐ。
――優しいから。あたしを傷つけたくなかったから……嘘を、吐いたんだ、きっと。
この恋慕は決して届かないから――遠ざけるように、冗談だって、思ってくれた……っ?
エー兄は……何にも、悪くない……っ?
「そうだよね……。うん。悪いのは、全部」
涙腺が引き締まってくる。泣いている暇は無い。
排泄すべきふしだらな悪を――あたしは見定めた。
あの糞女が――奪い取ったっ!
あたしの、あたしだけのエー兄を……あたしがいない領域で、かすめとったっ!
――消してやる。
こんなに悲惨な状況に陥ってしまったのは、全部あの、あの――。
「こんにちわ、有華さん……。奇遇ですね」
ハッとする。
膝の上で握り締めていた拳を解放して、即座に見上げると。
「瀬口……さん……っ」
諸悪の、根源。
あたしにとっての絶対の悪が――そこにいた。
どうにかして、エースケくんの女性への価値観を矯正しなきゃいけません。
例えば怪我をさせる……もちろん私は間接的にしか関われませんが。
エースケくんの家族は、エースケくんとそのお父さんの二人だけ。
そして今。お父さんは長期の出張で帰ってこない……まさに、天啓です。今こそ、という天啓。
怪我をすれば不安になりますよね……。しかも家では独り。
そこで私がさりげなく、電話するんです。大丈夫ですかって。
なんで番号を知ってるんですかって聞かれたら、エースケくんのクラスの親しい友人に
偶然聞いたとでも言えばいいのです。
後は駆けつけて、色々と不自由なエースケくんのお世話をして――本当の女性という在りかたを、見せ付けます。
そうすればきっと、エースケくんも気づいてくれます。……あたしの、ありのままの愛に。
それはそうと、前田さんでしたか――あのお方には感謝してもしきれません。
私がなにを聞いてもほいほい答えてくれて……っ。
ボケてるんじゃないですか? まあそれを狙って、高齢なあの人に聞き込んだんですけど。
あは、はははっ。
とにかく今後を色々と思考しながら、私はエースケくんのマンションに向かっていました。
別に押しかけようとはしませんよ……。今はまだ、エースケくんに近付くだけで、満足ですから。
いつまで理性が保てるか、ちょっと自信はありませんけど……。
「あれ……っ?」
ちょうど公園に入った時です。
忌々しい小娘の姿が……見えたのは。
最初は無視しようと思ったんですけど、なにか様子がおかしいんですね。
近付くとすぐにわかりました。――泣いてるんですよ、彼女。
そこで私の直感が脳裏を走りました。
ひどく彼女に共感したのです――そう。私がエースケくんに拒絶されたときと、今の有華さんは酷似します。
吹き出しそうですっ。……はは、はははっ! そうですか……振られたんですね、有華さんっ。
所詮はガキです。調子に乗るから、そんな負わなくてもよかったきずあとを背負うんですっ。
ああ、滑稽だなあ。
私はきっと、三日月みたいに口を開けて、笑っていることでしょう。
ここは止めを渡しておきましょう。幸運です。最大の障害が取り除けそうですから。
「こんにちわ、有華さん……。奇遇ですね」
そうして私は、諸悪の根源に、引導を渡すのです。
「どうも……。本当に、その……奇遇ですよね」
努めて冷静に……煮えたぎる殺意を心の奥底にしまいこみながら、言葉を返す。
にこにこと無駄に笑顔を振りまきやがって……。
皮膚を蟻の行列が闊歩するくらいに、不愉快なんだよ……っ!
あたしにとっての、お前って存在は……っ。
「――どうかしたんですか? 泣いているみたいに、見えたんですけど……」
「……別に。あなたに話す必要は、ありませんから」
視線を外して、言った。
――嫌な、眼球だ。
全部見透かされてるみたいで……だからあたしは、こいつの視線から逃れてしまった。
「そうですかぁ……? だったらいいんですけど。すみません、余計な質問でしたねっ」
「……用件は、それだけですか?」
なら……さっさと失せろ。
「泣いちゃうの、仕方ないですよねっ」
「はあ……っ?」
「私もそうでしたから。……必死にお願いしたんですけど、駄目だって……。それもこれも、全部誰かさんのせいなんですけどね」
「なにを、言ってるんで――」
「エースケくんに、振られちゃったんですよねっ……有華さん。あはは、はははっ!」
哄笑しながら。
このどうしようもないコソドロは……あたしに、そう断言した。
あはは、はははっ! はは……駄目です、おかしすぎますっ!
だって……あまりにも、有華さんが、惨めでっ……ぷぷっ。
一度爆笑したらなかなか止められませんね……自分の意志では、特に。
体がくの字に曲がってしまいました。
「ははは、はは、はははっ! あはは、ははっ!」
「黙れ……っ」
有華さんが立ち上がる気配。
あはは……さっきまでは怯えたみたいに視線をそらしていたのに、今じゃすっごい睨んできてるって、わかっちゃいます。
「ご、ごめんなさいっ……。でも、あははっ……! だって、あまりにも私の直感が的中したもので、つい……っくく、あははっ」
「いいから、さっさと黙れっ……!」
「あはは、うは、ははっ! あははははははははははははっ!」
「この――黙れってっ!」
ひぶっ。
……右のほっぺた、痛いですぅ。
耳朶にこだまするのは、パンっ――という、皮膚が揺れる、綺麗な音。
あはっ……ビンタ、されちゃいました……てへっ。
ありがとう有華さん。この衝撃のおかげで、ようやく無限に連鎖する笑いが、ストップしてくれました。
「なに笑ってんのよ……っ!」
「あはは、ははっ。すみません……生来、こんな面なんです、私」
そんな殺意メラメラの両目で睨まないでください……。
私は抑えてるんですからね――有華さんへの、巨大な憎悪を。
「どうやってエー兄をたぶらかしたかは知らないけどね……っ! あたしは、絶対に諦めないっ!」
「ははあ……そうですか。あなたみたいな乱暴な、女の子らしくない人を……エースケくんが選ぶとは、思えませんけどね」
「――ぐうっ……!」
手を出したのは、有華さん、あなたですから。
乱暴って表現されても……どこもおかしくありませんよね?
「あたしは……絶対に、認めないからっ……! 覚悟、しときなさいよね……っ!」
「勝手にしてください。あなたがどう転んでも――私は、エースケくんと、幸せになりますから」
「……ほざけっ! 勝手に妄想してればいいのよ、馬鹿がっ!」
言うが即座に、有華さんは反転して、走り出しました。
あはは……まるで敗残兵ですよ。みっともないんだ……うふふっ。
「――あれ。落し物ですか」
きらりと、何かが光を反射して、私にその存在をアピールします。
有華さんが座っていた、ベンチの上ですか……。
摘み上げます。
銀色の――これは……。